てふてふオーナーの趣味は写真撮影。ハーブや夕陽、瀬戸大橋など、日常の風景から思わず目を奪われる絶景まで、オーナーとっておきの写真をご紹介します!オーナーは、倉敷の伝説にも詳しいという一面も。絶景や撮影スポットのこと、倉敷伝説のこと、気軽にお聞きくださいね。
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昔、心がけのよい若い漁師が水島沖で漁をしていると網に箱がかかった。その中には大般若経が入っており不思議な箱だったので通生の八幡院に納めることにした。何日かたって若者が漁をしていると海の底から笛の音とともに稚児が現れ先に般若心境を八幡院に納めてくれたお礼だと言ってつづらを渡した。「決して家に帰るまでは、ふたを開いてはなりませぬ。」と稚児は言ったが若者は気になるのでつい開いてみると中には金銀がいっぱい入っていた。若者は大喜びで急いで家に帰り家族に見せようと箱を開けると今度は金銀でなく中に一匹の竜がいた。驚いた若者はその箱を浜にもって出て捨てたが気になるので翌朝行って見ると浜は一面に金が散らばり目もまばゆいばかりに輝いていた。それからその浜を金浜と呼ぶようになったと言われる。
帆船時代の水島灘は内海でも屈指の難所であった。その水島灘に小さな四つの無人島があり灘の四つ子島と呼ばれていた。ここはその昔、源平の古戦場で時折武士の亡霊がでるのであった。れは「杓をかせ、杓をかせ」と言うもの悲しい海中からの声にあやつられて杓をかすとたちまち杓をもつ細い手が何千、何百とふえ、船はまもなく水浸しになって水島灘の底深く消えてしまうという。こうしたことからだれ言うとなく「柄杓島の船幽霊」と船頭衆はおそれおののいたそうです。現在、水島灘に出入りする国内線、外国船にとっては、船幽霊の話はこっけいであろうが、やはりあの四つ子島あたりは水島灘の難所としていつまでも伝説を思い出させる場所でしょう。